餌付け問題、今回の記事では野鳥(野生動物)への『餌付け』について考えてみたいと思います。
ペットとして飼っていない動物に餌付けをする行為は、様々な場面で問題視されています。
肯定意見・反対意見と多くの方々が様々な意見を持っていると思いますが
今回は、この問題に対する私の考えを詳しく記事にしてみようと思いました。
目次
発端
野鳥観察公園
私がこの餌付け問題を深く考えるキッカケになったのが上の一枚の写真です。
これは、某野鳥観察公園で撮影したジョウビタキです。
とてもおとなしい子で、じっと木の上で動かず、ゆっくり観察することができました。
観察者・撮影者としてはありがたっかたのですが、どうも様子がおかしいなと思っていたんです。
家に帰り、よくよく調べてみると、どうもこのジョウビタキは感染症に罹っていると言う思いに行きつきました。
この時、逃げようともしない理由や、体のいたる所の毛が爛れたようになっていた事
そういった、観察中に感じた違和感が妙にしっくりきたのです。
餌場の設置は、野鳥達の感染症の温床になっています。
多くの野鳥が集まり、感染症をシェアしてしまっているのです。
これは、世界中で問題になっている出来事です。
日本野生動物医学会感染症対策委員会 福井大佑
餌付け問題と感染症レポートhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jjzwm/18/2/18_41/_pdf
さらに、ある一人の老人の言葉を思い出しました。
老人の言葉
それは、私がコジュケイを観察に行った時のことです。
始めて行った場所だったので、日の出と共に山中を歩き回り必死に探し回っていたのですが
その山の一角に、人工的に作られた水場があることに気づきました。
すると、小綬鶏がひょこっと現れたのです!
お!と思い、観察と撮影を続けていると、一人、また一人とバードウォッチャー達がその場に集まってきました。
そして、その中の一人が徐に水場に近づくと、ミカンの輪切りや米粒を水場の周りに撒き始めたのです。
それを、美味しそうに食べる小綬鶏。
そして、それを必死で観察・撮影する人々。
それはなんとも言えない気分になってしまいました。
すると、そこに通りかかった老人が、水場を管理していた人に行った一言
『この山の持ち主でもないのに、我が物顔で勝手しやがって』
この言葉に、私はハッとさせられたのです。
肯定意見
観察者目線
その時知り合った野鳥カメラマンの方と、少し話していたのですが
その方は、週末になると色々な野鳥観察スポットに出掛けては、野鳥撮影を楽しんでいる方でした。
『さっきの老人はああ言っているけど、その土地の有志達がこうやって餌場を 管理してくれているからこそ 僕たちバードウォッチャー達は、野鳥観察することができる。 本当にありがたい。』
本来、小綬鶏はとても警戒心の強い鳥で、森林の藪の中などに身を潜めて暮らしています。
ちょっとでも怖い気配を感じると、すぐに逃げてしまいます。
こういった餌場を長い年月をかけて管理する。
そういう努力が、小綬鶏と人間との信頼関係に繋がり、小綬鶏も安心して人前に出てくるようになるのです。
餌付け者目線
また、餌付けを行なっている人の意見として多い意見は主に二つあるように感じます。
- かわいいから
- かわいそうだから
- 生き物に囲まれて暮らしたい
1.かわいいから
これは、私の自宅の駐車場で野良猫に餌付けをしている近所のおばさんがいっていたセリフです。
我が家の付近には、多くの野良猫が暮らしています。
我が家にも、二匹の野良猫がよく出入り(敷地内に)していて、見かけると『おーい元気か?』と
呼びかけたりはするものの、餌付けなどは行なっていません。
しかし、我が家の駐車場で、時々缶詰やらを食べている二匹の姿を目撃することがありました。
これは誰か餌付けしているな!と様子を見ていると
近所に住むおばさんが、なぜか我が家の駐車場までやって来て、二匹に餌付けを行なっているのです。
『ちょっとおばさん何してるんだい?』
と声をかけると、『だってかわいいでしょ?』と答えます。
いやいや、それは返事になってませんよ!と思うんです。
かわいいなら飼えばいいのです。
そして、自分の自宅で大切に育ててあげればいいのです。
ましてや、人の家で餌付けなんてしないでほしいのです。
公園の鳩に餌(パン屑など)をあげている人の意見も概ねこの『かわいいから』に即します。
そんな人を見かけると、ちょっと話しかけてみたりします。
『餌やってるんですかー!』って自然に話しかけると、『かわいいですからね』って返事が返ってきます。
2.かわいそうだから
さらに、多い意見としては『かわいそうだから』というのもあります。
野生動物は、食うか食われるか日夜必死に生きています。
その日の餌を食べれるか食べれないか、ギリギリのところで生きている者もいるでしょう。
少なくとも、我々人間は野生動物に対してこういったイメージを持っていると思います。
痩せててかわいそうだな。何日も餌を食べていないんだろうな。
こういった気持ちが湧いてくるのも無理がありません。
そして、我々人間は食べるものに困っていないのだから、ちょっと分けてあげよう!
そういった思考のメカニズムで餌付けをする人もいるでしょう。
3.生き物に囲まれて暮らしたい
自宅の庭に野鳥の餌場を設置したりして、毎朝餌付けを行なっている。
そういった方も多くいると思います。
毎日、スズメやメジロやシジュッカラなんかが集まってきてかわいいですよね!
たまに、ヒヨドリやカラスがやってきて、そういったかわいい小鳥達を追い払います。
チェ!あいつら本当にガメツイな!とちょっと怒ったり。
多くの野鳥公園などは、そういった考えの延長線上でできている施設ではないでしょうか?
家の近くに、野鳥観察できる自然公園がある。
そこに行くと、毎日たくさんの野鳥を観察することができる。
しかし、忘れてはいけないのが、そのような公園は人為的に作られたということです。
人間の生活しやすい都会の真ん中に、あたかも自然かのようなエリアを作っているということです。
私の餌付けへの考え
このように、多くの場面で人間が野生と関わっている場面を目にします。
しかし、その根底には人間本意な考えがあると思うんです。
観察しやすいから、かわいいから、かわいそうだから、自然に囲まれたいから。
そういった想いを手軽に近場で済ませたい。
ここがポイントな気がします。
ポイント
我々が、自然の中に行けばいいんです。
野生動物の暮らす自然の中に、自然を勉強して足を運べばいいのです。
また、自然に囲まれて暮らしたいのなら、都会を離れて暮らせばいいのです。
もし、自然の少ない都会が息苦しいのなら、もっと都会を縮小したらいいのです。
餌付け問題の是非を問う前に、根底にある人間本意な考え方を外さないと議論になりません。
というか、この考え方が外れないことが、この問題の1番の本質ではないでしょうか?
地元の有志が、小綬鶏に餌付けをしている。
それって、ただ小綬鶏を観察しやすくするためだけであって、その土地の権利やその土地の行く末など
また、小綬鶏の生活の行く末など、全く考えていないと思うんです。
そこを無視して、餌付け問題の是非を語れるでしょうか?
野良猫がかわいいから・かわいそうだから餌付けをしている。
それって、ただ自分の思いに正直に動いているだけであって、野良猫が増えて困っている人
また、野良猫達の生活の行く末など全く考えていないと思います。
そこが抜けているのに、餌付けの是非を議論できるでしょうか?
人間は自然をほとんど理解していない
人間は何世紀もかけ、自然について多くを学んできました。
現在では、環境問題への問題意識も世界的に高まって来つつあります。
しかし、未だに多くのことがわかっていません。
今では環境被害を甚大に引き起こすと分かっている【フロガス】を人間は何十年も大量に排出して来ました。
これは、人間が自然環境に及ぼす影響がわかっていなかったからこそ起きた悲劇です。
地球温暖化やSDGSなど、今世界中で多く議論されている問題ですら
世界中が賛否で割れています。
自然は人間が考える以上に強いのかもしれない、いや、人間の力は地球を破壊するほど大きくなったのかもしれない。
人間は自然を理解していないからこそ、自然に謙虚になれずに思うように支配したいのだと思います。
自然に対しもっと謙虚に、人間も自然の一部であることを理解し
今まで長い年月をかけて作って来た社会が、人間にとって生きづらい社会だったことを理解し
その上で、やっと自然との関わり方を本格的に考えていけるのだと思います。
理解を深めて一緒に考えていこう
なんだかんだ、人間は自然なしでは生きていけません。
空気も、大地も、草木も、動物達も、同じ地球上に暮らす仲間であり、運命共同体なのです。
すなわち、大気も地質も草木も動物も全員が心地よくなければ、人間も不幸になるということです。
野鳥の餌付け台で感染症が蔓延すると、回り回って多くの動植物に被害が出ます。
それは、人間も同じなのです。
便利だから防腐剤入りのコンビニ弁当を食べる。
売れるから着色料の入ったシャンプーを売る。
こうした積み重ねが人体への健康被害を及ぼしているのと全く同じ問題だと思います。
野鳥(野生動物)への餌付けは正義か?
この問題を考えるには、まだ人間は成熟していない。
それが私の考えです。
多くのことを人間が学び、理解した時、初めてこの問題の議論を始めることができるのではないでしょうか?
そうなるには、まずは餌付けを止めることです。
人間が楽をせずに、もっと努力して自然に歩み寄ることをする。
その先に、初めて人間と自然との関わり合い方の本質が見えてくるのではないでしょうか?