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人はなぜ鳥を神格化するのか?

世界中の神話やことわざ、ファンタジーや昔話。
様々な場面で、野鳥は特別な存在として登場します。

エジプトのホルス神はハヤブサがその原型です。
また、不死鳥(フェニックス)なども有名な幻獣です。

なぜ、人はこうも鳥に魅了されるのでしょうか?
そして、なぜ神として崇めるのでしょうか?

今回の記事は、そんな神聖な野鳥の姿に迫っていきたいと思います。

目次

鳥類という神

飛ぶ鳥の写真
美しい飛翔姿

神話の中の野鳥たち

まずは、いくつかの例をご紹介しておこうと思います。
我々の遠い先祖たちは、鳥をどのように考え、信仰してきたのでしょうか?

【火の鳥】

手塚治虫の漫画やストラヴィンスキーの名曲でも知られる有名な幻獣です。
ギリシャ神話に登場するフェニックスや中国の四神である青龍・白虎・玄武・朱雀の朱雀とも同一視されています。
また、鳳凰という呼び名でも有名ですね。
さらに、エジプト神話では、聖なる鳥ベンヌとして登場します。

体は特別な炎で覆われ、寿命を迎えると自ら燃え上がる炎に飛び込み蘇る。
不死鳥とも言われ、長寿・繁栄などのシンボルとして考えられてきました。

世界中に同じような伝承が残っているのも面白いですよね。

【八咫烏】

八咫烏は、日本神話に出てくるカラスです。
日本サッカー協会のエンブレムにも使用されている3本足のカラスです。

その昔、神武東征の際、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)を
熊野から大和への道案内をしたと言われる伝説の鳥です。

神倭伊波礼毘古命は、この導きのおかげで無事に大和に辿り着き、初代天皇の地位に着ききました。
日本という国の誕生に関わった、日本人には馴染み深い幻獣です。

【ガルーダ】

インド神話に登場する災いを退ける神。
人間の胴体に、鷲の頭部というルックスで、一般的には赤い翼と黄金の体という幻獣です。

アジア諸国にはこのガルーダ信仰が広く残っており
タイ王国国章・インドネシア共和国国章などにも使われています。

神の乗り物と言われることもあります。


他にも沢山の伝説の鳥が、様々な神話などで語られています。
また、幸せの青い鳥など、物語の中にも多くの野鳥の姿を確認できます。

鳥類の特別性

造形的・機能的特別性

鳥類と我々哺乳類は、あらゆる面ではっきりとした違いがあります。

まず、羽毛の有無はパッと見てすぐに気づく違いでしょう。
魚類・爬虫類・そして哺乳類、どの生物にも無い独特の特徴です。

また、その羽毛の織りなす色彩豊かな体色も、目を引く特徴だと言えます。

ベニマシコの写真
野鳥の羽は様々な色彩を持つ

また、翼を持ち、大空を羽ばたくことができます。
その為、他の多くの種に比べて、活動範囲が広いという特徴があるのです。

人は、古来より空への憧れを抱いてきました。

1927年、アメリカのチャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成し遂げ。
その功績に世界中が興奮したのも、空への憧れと挑戦という人間の歴史があってのことです。

憧れの空間である大空を、自由に飛び回る野鳥の姿は
古来の人間にとっては特別のものに映ったのではないでしょうか?

鳴き声

囀る鳥の写真
鳥の囀りはよく通る

聴覚は、人間の持つ五感の中でも記憶などの深い意識の部分に働きかけると言われています。
また、姿が見えなくても、遠くからでも、音は人間の耳に届きます。

野鳥の鳴き声は、美しく種によって様々です。
それに、複雑な囀りを得意とする野鳥も多く、古くより人間に愛されてきました。

また、鳥の鳴き声は、多くの場面で人間にも意味を持つものとなります。
例えば、狩の時には獲物の居場所を告げる合図になりますし、朝の訪れや夜の訪れを告げることもあります。

そんな野鳥たちの囀りを、人間は注意深く聞き取り、様々な意味を感じてきたのです。

また、鶯の鳴き声【ホーホケキョ】を法華経と聞き取りありがたがる文化もあります。

野鳥の鳴き声は、神話の中でも特別な響きとして存在しているのです。

身近な野鳥たち

身近な野鳥
野鳥は身近にいる

私は、頻繁に山などの自然の中に出かけて行きます。
しかし、野生動物を目撃する機会はそう多くはありません。

比較的身近な野生動物である、タヌキや鹿などもそう簡単には遭遇しないのです。

その為、狩を生業にしている猟師達は、動物の痕跡を頼りに野山を駆け回ります。
その知識や勘などが、野生動物を発見する重要なスキルなのです。

しかし、野鳥はどうでしょう?

登山をしていると、野鳥を見かけない日はありません。
というか、わざわざ山に出かけなくても、至る所で野鳥を見ることができます。

飛べるということは、行動範囲も広いということです。
さらに、我々飛べない生き物は、いざ野鳥を捕まえようにも、空に逃げられてはお手上げです。

空という絶対領域を持っているからこそ、野鳥は私たちの近くに多くよってきてくれるのだと思います。

目撃するということは、私たちの想像力を駆り立てる機会が多いということに繋がります。
神話の中に鳥の姿が多く出てくるのも、人間にとって身近な存在だったという事が関係している様に思います。

自然の移ろいの中で

梅とメジロの写真
四季の中に野鳥はいる

現代では、人と自然は大きな隔たりを持って存在しています。
もはや、人間は自然を克服し、食物も住居も全て人間の手で生産することができます。

しかし、そんな現代でも、人間が自然の恵みを軽視することはできません。
生物としての本当の幸福を追求する時、自然の一部である事を理解することは大切なのです。

昔の人々は、現代人の我々が考える以上に、自然と真正面から向き合っていたと思います。
花の開花を喜び、果実の実りを待ち望み、野生動物を狩り、天変地異を恐れ。
そうやって、自然の営みや、自然の発する様々な情報に注意深く気を配って生きていたのです。

そんな暮らしの中、野鳥達の姿はまさに自然を体現している様に映ったのではないでしょうか?

四季の中の野鳥

季節の花が咲きだすと、その蜜を求める野鳥の姿を確認できます。
ツバメが飛び出すと、夏の到来を感じることができます。
冬には多くの野鳥達が越冬に訪れます。

そんな、自然の移り変わりの中に存在する野鳥達は、間接的に人に四季の移ろいを感じさせてくれるのです。

現代よりもっと人間が自然の一部だった頃。
自然の移ろいをいち早く察知し、順応していかなくてはいけなかった頃。

野鳥達の行動は、人々の道標として映っていたのかもしれません。

人はなぜ鳥を神格化するのか?

神話の中に生きる鳥

神話の時代より、我々人間の間で語り継がれている特別な鳥達。
なぜこうも人は鳥に魅了され、特別な存在として崇めるのか?

自然と遠い存在になってしまっている現代だからこそ
もう一度じっくり考えてみるのもいいのかもしれません。

大空への憧れ、その大空を自由に飛び回る野鳥達の姿。
美しい囀りは、耳に心地よく、多くの喜びを与えてくれます。

いつもそばにいる野鳥達の鮮やかな姿は、人間に無限の想像力を与えたことでしょう。
そして、自然の恵みに感謝し、自然と共に生きていた人間にとって
野鳥達の行動を理解することはとても大切なことだったと思います。

なぜこうも人間は鳥に魅了されるのか?

今一度ゆっくり考えてみるのもいいかもしれません。

ではまた次回。

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